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INTERVIEW
19

1万キロの
ユーロ=アジア世界に
きらめく文明史
~装飾から人類の営みを探る~ 美術文明史家・鶴岡真弓 さん

先史時代から人類が行ってきた「装飾」という行為。子どもの誕生や人生の節目の祝い事、そして厳かに死者を弔うとき、わたしたちはその瞬間を心を込めて飾ってきた。けれども装飾とは、その単語が表現するように「装い飾る」べき内実に対して、常に表面的なものと見なされてきた。また日常の衣食住の身近にあるために、美術作品などと比べると、その価値は脇へ追いやられてきた感もある。
そのなかで、世界中の民族に伝えられてきた装飾を追いかける、美術文明史家の鶴岡真弓さんは、日本からアイルランドまでの1万キロという地平を調査し、古代までの時間を望むダイナミックな文明論を展開してきた。装飾文様がほどこされる「表面」を見つめ、そこにこそ「踏みとどまること」で、無限とも思える微細に蠢(うごめ)くデザインのなかに、光り輝く人類の営みが見えてくる。 取材・文:国木田芳/写真:カトウキギ/編集:川村庸子

命を輝かせるためのアート&デザイン

「装飾」は、一点ものの美術作品などと比べるとあまり重要視されてこなかった気がします。一体どういうものなのでしょうか?

鶴岡 20世紀初頭から1960年代の前半までは、無装飾で機能的、合理的であるデザインが、支持されていました。モダニズム(*1)と呼ばれる時代のことです。「装飾」というデザイン表現は、先史時代から人類が行ってきたものですが、20世紀のモダニズム建築や、モダニズムデザインのなかでは、「装飾は余計で過剰なものだ」として、排除されてきたのですね。

モダニズムを代表する建築家のミース・ファン・デル・ローエ(*2)は、“Less is more”という標語を掲げました。この言葉は、装飾性が少なければ少ないほどより効率的で機能的であるという、まさにモダニズムを表現するような言葉です。
けれども、1960年代後半にロバート・ヴェンチューリ(*3)という建築家・批評家が、それを揶揄して、“Less is bore”と言い放ちました。「より少ないことは退屈」「装飾や飾りが少ないことは退屈である」という意味です。
そして、合理性を最優先させるモダニズムの時代は次第に終わり告げ、デザインも人の生き方もポストモダニズム(*4)という次の時代に入っていくことになります。

ちょうどその頃、1970年の日本では、芸術家・岡本太郎(*5)が万博で太陽の塔をつくりました。彼は、縄文土器に見られるような装飾性の高いデザインに魅了された人ですね。直線的に、合理的に進むのではなく、遠回りしてもダイナミックで有機的な曲線の表現がモダニズムの次の時代に現れてきた。
つまり「装飾的デザイン」は、20世紀の短い期間には否定されたけれど、人間に感動を与えるとても重要な美や力であるということを、70年代に入った人々は考えるようになり、80年代に大きく花開いていったのです。

鶴岡さんの専門はヨーロッパの基層文明である「ケルト」の文化や芸術ですね。ケルトの装飾とはどういうものなのでしょうか?

鶴岡 ヨーロッパ西部、アイルランド伝統の「ケルトの暦」では、11月1日が新年で、その前夜の10月31日の大晦日は死者たちが戻ってくる日とされています。この節句は、祖先や死者の霊を供養する「万霊節=サウィン」と呼ばれ、「ハロウィン」の起源なのです。厳しい冬を迎える入り口に、死者たちと交流してパワーをもらうのです。

わたしたち現代人は、生きている自分たちが主人公だと思ってしまいがちですが、実は地球の長い歴史から考えると、わたしたちの先輩である「死者たち」にこそ、生かされてきた。特に古代や中世のケルト人たちは、そうした考え方を強く持っていました。
ハロウィンでは、子どもたちが家々を回って“Trick or Treat !”と声をかけていきますね。Trickとは「いたずら」の意味で、Treatは、「もてなし」。「死者たちやご先祖をもてなして供養しないと、いたずらしちゃうぞ!」と言っているのです。これは死者たちを忘れないための、とても大切な言葉。つまり先ほどお話したモダニズムの時代には、「死」とは、忘れ去り、遠ざけ、蓋をするもの、合理性の対極にあるものと考えられてしまったのですね。

普通は、生から死へ、産まれて死んでいくものがわたしたちの存在だと考えますが、反対にケルトの人は、「闇から光へ」「死から再生する」という思想を持っていました。ハロウィンの夜とは、まさに死が再生する一夜。生者と死者の間の壁が取り払われて、古い時間と新しい時間、生と死、明と暗が交流するのです。
ケルトの三つ巴の「渦巻文様」は、ねじれ反転しながら終わりのない、無限に連続する渦を描きます。精緻な文様には、「死からの再生」、それこそが本当の生であるという三つ巴の思想が、流転しながら蠢いている。存在を「成ったもの(Being)」として見るのではなく、「成りつつあるもの(Becoming)」として見ようとする思想がそこにあるのですね。

様々なデザインで表現される装飾は、イコール「光・輝き」の表現です。人間の命と魂を、言祝ぎ、祝福し、さらに再生する力として、輝かせる飾り。教会や寺院は荘厳に装飾されていますが、つまりそこは、生と死が出会う、光ある場所です。「装飾」とは、単に飾り立てるという人間の現世的な欲望ではなくて、命を輝かせるアート&デザインであり、思想や哲学。古来から人類が行ってきた営みなのです。
だから、ヴェンチューリが“Less is bore”といってモダニズムを批判したのは、単に飾りがあるかないかの議論ではなくて、人類は生者中心で20世紀を生きてきてしまったのではないだろうかという、大いなる問いだったのです。
その後、1980年代には、装飾主義(オーナメンタリズム)(*6)という運動に発展し、建築やデザインやアート以外にも、文芸批評や思想としても影響力を持ちました。

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ケルト美術の代表的装飾表現『ケルズの書』に描かれた三つ巴の渦巻文様。『ケルズの書』キリストの頭文字XPI 部分 (800年頃)

  • *1
    近代主義。また20世紀初頭に起こった実験的な芸術運動を指す。文学、建築、絵画、思想等、様々な分野で19世紀の芸術の伝統的な枠組を超えた表現を追求した。
  • *2
    建築家(1886–1969)。モダニズム建築家のなかでも徹底して純粋化・単純化を目指した。ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトと共に、近代建築の三大巨匠のひとりと言われている。
  • *3
    建築家(1925- )。モダニズム建築に批判的な立場を取り、“Less is bore”という言葉でモダニズムを皮肉った。その批評精神はポストモダニズムをいち早く予見していたと言える。
  • *4
    モダニズムの文化や価値観に対する批判的態度から用いられはじめた「近代(モダン)以後」を意味する言葉。近代(モダン)を超克しようする次の時代の表現、思想を総称したものと言える。
  • *5
    芸術家(1911-1996)。1930-40年までパリに留学。数々の芸術運動に参加しながら、民族学、哲学等をパリ大で学ぶ。帰国し、兵役から復員して以後は現代美術の旗手として絵画・立体等旺盛な創作活動を展開。文筆家としても知られる。
  • *6
    モダニズムに批判された装飾的なものを再発見し、積極的に取り入れていった諸芸術分野からなる運動。

「ユーロ=アジア世界」から見えてくるもの

1960〜70年代は、鶴岡さんが10代から20代へ移っていかれる時期に重なりますよね。19歳のときには、ユーラシア大陸へ旅に出られたとか。

鶴岡 19歳のときにシベリア鉄道で西へ向かい、ユーラシア大陸を横断しました。極東の日本からひたすら西へ。その間にシベリアなどに暮らす知られざる民族に出会い、民族の衣食住を飾る「装飾的なるもの」の根源的な力に触れる旅を経験しました。
渦巻文様はケルトだけでなく、日本の家紋やでんでん太鼓などにも三つ巴の渦巻きのデザインが見られます。モンゴルにも、インドにも、イランにも見つけられる。わたしたちには、ケルトから日本に至るまで、共有している美的表現がたくさんある。そうした普遍的なものを探していくという旅を、現在も続けています。

日本では、アイヌ文化というのは、北海道の特殊なものだと考えている人が多いですよね。しかし、「アットゥシ」という装飾的な上衣に描かれた渦巻きと似た文様が、シベリアの晴れ着にもあります。
世界を縦で考えると、それぞれが個別の文化であるように見えてしまいます。南北に長い日本列島があって、隣に朝鮮半島があって、大陸には中国やロシアがあって南にはインドがあって…というように。縦で捉えるとアイヌ文化は特殊だけれど、横で捉えると、シベリアとの類似性が見えてくる。兄弟の文化であることがわかってくる。

例えば、東北に「鹿踊(ししおどり)」という舞踊がありますが、ローカルな東北地方の舞踊として、特殊視されてきました。そのほか東北の「おしら様伝説」(*7)などもそうですね。
けれども、アイルランドに留学してケルトの神話を調べてみると、鹿の話が出てくるんです。人間の王様が森に入っていったときに、最高の精霊としての鹿が、人間の女性に変容して一緒に王国をつくっていくという話です。ヨーロッパや、中央アジアにも、森のなかで鹿と出会って新天地に移ると、そこに良い国や里をつくれるという伝説があります。
つまり、「鹿信仰」は、日本の東北という地だけにある特殊なものではない。世界を横の広がりとして捉えると、ひとつの特殊と思えたものが、アイルランドでも共通している、人類史の伝統であったことが見えてくるんです。

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アイヌの上衣「アットゥシ」

「ユーロ=アジア」とは鶴岡さんの造語ですよね。人類の営みに、文化的な共通性、普遍性を見出そうという、強い想いが込められているように思います。

鶴岡 留学してアイルランドに住んでいたときは、日本と真反対の「西の極み」にいるわけですから、ロンドンやパリ、フィレンツェなど、「中心」を、端っこから眺めている感じでした。日本で考えると、大陸文化の中心として北京やモスクワを眺めるように。
しかし「西の極み」から、「東の極み」の日本まで、世界をこれまでとは真反対のプリズムで見るような経験をしたとき、望遠鏡を通して東の彼方の自分の国までの1万キロの「ユーロ=アジア世界」という広がりが、見えてきたんです。

例えば『京都異国遺産』(平凡社)という本に書いたことですが、京都は日本古来の都で、「和の文化」の中心だと誰もが思っていますよね。けれども祇園祭りのテキスタイルや金工を調査すると、中国やインド、そしてヨーロッパから伝わった装飾文様でできていることがわかります。京都の文化こそ異国から来た美を蓄積してきたのです。
「ユーロ=アジア」のパースペクティブで装飾を見つめていくと、そうした日本文化の再発見ができるのです。

日本列島は西洋文明から見ると、中国の彼方にある、極東の島国ですよね。
しかしその島国は、彼方の周縁にあるのではなくて、大陸との交流や交感をその営みに宿し続けてきた「東の極み」というトポス(*8)を占めている。その長い歴史を、わたしは「装飾」という主題を通して見つめてきたわけです。

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鶴岡さんが所長を務める多摩美術大学・芸術人類学研究所内には様々なオブジェが並ぶ

  • *7
    東北地方で広く信仰されている家の神。ご神体の多くは桑の木に掘られ、馬頭、姫、男女、僧侶などの姿がある。
  • *8
    ギリシア語で「場所」を意味する語。

日常のなかにある聖なるもの

そうやって、様々な土地でフィールドワークを重ねているんですね!

鶴岡 モンゴルの人たちの移動式住居、ゲルを調査したときに、「装飾は光」の表現であり、宝石箱みたいなものだと改めて思いました。
聖地や寺院といった場所に、荘厳な装飾があるのは当たり前ですが、聖なるものとは、実は天上世界の遠いところだけにあるのではない、日常のなかに一番素敵なものが潜んでいたりもするのだと。
彼らは遊牧しながら、ゲルのなかで生活しています。その入り口は、「生命の樹」の文様や、無限循環するような渦巻き的なデザインで飾られています。

人間の日常の衣食住の時間を、民俗学では「ケ」といいます。反対に、「ハレ」とは晴れ着や晴れ舞台などの言葉もあるように、特別の祝いの儀礼的な時間を指します。
装飾は、成人式や、結婚式や、お葬式など、様々な節目のハレの時間を飾るものではあるけれど、ハレのときだけに用意されるものではないわけです。
モンゴルの人々は、草原にゲルを張って、その日を過ごします。ゲルのなかで、みんなでスープやヨーグルトをつくったり、子どもがいて、おじいさんがいて、家族みんながいる。そこには、「いまここ」の喜びや尊さに溢れています。そして、「いまここ」が一番大切で、日常が一番大切で素敵なところなんだと思わなければ、ゲルの入り口を飾るような装飾の表現は決して生まれなかったと思います。

日常を飾るための「装飾」の表現があるのですね。

鶴岡 「ユートピア」という単語がありますね。これを英語に置き換えると“No where”、つまり「どこにもない場所」と表せます。ユ(ου)というのは、ギリシア語からきた否定辞で、「ない」という意味です。

通常、モダニズム以降のユートピア思想は、どこか彼方にある成功の場所、理想郷と考えられています。けれども、そもそもユートピアという言葉が「どこにもない場所」なのだから、古代の人たちは、単純に理想郷のような場所とは考えていなかったはずです。
いつか、奇跡みたいなことが起こって、成功した場所へ行けるなんてことはない。ユートピアとは、常に「いまここ」に踏み留まることで、あなたが創るものなんだと、この言葉は表現しているのです。

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移動式住居ゲルの装飾文様 Photo by Mayumi Tsuruoka

「素晴らしい特殊なもの」を見つめていく

改めて、わたしたちの身近なところにも「装飾」が輝いているように思えました。

鶴岡 なぜ人類は飾るのかということを考えていくと、モンゴルの人々では「いまここ」を飾って、今日を一生懸命元気に、喜びを持って生きようとしている。それは中央アジアにも、ヨーロッパ諸国にも、もちろん日本にだってある。
わたしは、神社や寺院での祭礼など、特別なハレのための装飾空間も調べますが、同時に人間が毎日生活している日常の場所が、どういう光や飾りに満ちているかということも探求しています。

例えば「漆」は、1万年以上前の縄文時代から、日本人の営みのなかにありました。
明治以降は、漆の朱に飾られたお椀はお客様にお出しする特別なものになっていきましたが、きっと古代の人は普段使いにもしており、漆塗りとは長期使用に耐えるための化学的コーティングでもあり、装飾も兼ねていた。
このように芸術とは、文明と一体となって創造、産出されてきたものです。わたしは、美術史家という狭い意味の肩書きではなく「美術文明史家」と名乗っています。それは、「文明論・生命論」として、つまり「人間の営み」として、美術も捉えていくということです。

縄文は、1万年前の日本の特殊な文化、文明と考えられてきましたが「ユーロ=アジア」に兄弟姉妹がいます。そこには世界性がある。生命的なものを造形に込めたところに、普遍性がある。
そうした「素晴らしい特殊なもの」を見つめていくと、人間にとって大切なもの、普遍的なものに必ず到達できるのだと思っています。

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