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INTERVIEW
02

新たにピラミッドの
「謎をかたちづくる」
最先端技術で内部構造の解明に挑む 考古学者、歴史学博士・河江肖剰 さん

未だに誰が、どのように、なぜつくったのか解明されていないエジプトのピラミッド。大きな謎のひとつである建造方法に対して、斬新な説を唱えるのが河江肖剰(かわえ・ゆきのり)さんだ。 河江さんは、19歳で単身エジプトに渡り、現地でツアーガイドを務め、26歳で現地の大学に入学。卒業後、世界的なアメリカ人考古学者のもとに弟子入りして、考古学者として歩み始めたという異色の経歴を持つ。 日本でのキャリアを持たない異端児は、いま、考古学的知見と3D解析という最先端技術を掛け合わせたこれまでにないアプローチで、ピラミッドの内部構造の解明に挑んでいる。 取材・文:川内イオ/写真:対馬一宏/メイン写真:Tobias Tonner/編集:川村庸子

ピラミッドってどんな遺跡?

雑誌やテレビで「ピラミッド」を見たことがありますが、砂漠にある大きな四角錐のイメージしかありません。そもそも、どんな遺跡なのですか?

河江 ピラミッドって、砂漠の真ん中にドーンと建っているイメージがありますよね。でも実は、町なかからそんなに離れていなくて、首都のカイロから一番近いギザ(*1)のピラミッドまでは、タクシーで30分くらいです。
ピラミッドは、いまから4,600年前ほど前に建造が始まり、隣国のスーダンにも広がって、ローマ時代までつくられ続けました。エジプト国内だけでも、高さ数mのものから、100m以上のものまで、100個以上のピラミッドがあるんですよ。

謎の多いピラミッドですが、これまでの調査で、大ピラミッドに対して約2〜3万人が建造に携わったと言われています。ギザには、1日に2〜3万人ぐらいの観光客が来るので、同じぐらいの人たちが働いていたということですね。
当時の人たちは、パンを主食にしていました。わたしはあるテレビ番組で当時のパンを再現したものを食べたことがあるのですが、めちゃくちゃ美味しかった。当時の人たちはビールも飲んでいました。もちろん冷たくないし、アルコール分も低いですが、栄養価に満ちた飲み物。ビールも遺跡からたくさん出てくるので、よく飲まれていたのでしょう。
パンを食べ、ビールを飲んで仕事をするというのは、現代のわたしたちと変わりありませんよね。

カイロのギザ市内(2012年) Photo by Yukinori Kawae
カイロのギザ市内(2012年) Photo by Yukinori Kawae

ピラミッドには、信仰のためのモニュメントという説や、壮大な公共事業という説もありますが、わたしは「王の墓」だと考えています。
そしていま、「どうやってつくったのか」に興味があって、レーザースキャナーを使った3D計測で、ピラミッドの内部構造を解き明かそうとしているところです。写真のような2Dよりも、さらに現実に近い3Dの記録を取る手法なので、より当時のリアルな姿が浮き彫りになるのではないかと考えています。

河江肖剰さん

  • *1
    クフ王、カフラー王、メンカウラー王それぞれの墓陵とされる3基のピラミッドと、スフィンクスがある。革命以前は年間2〜3万人の観光客が訪れるエジプトの名所。三大ピラミッド – Wikipedia

先生の一言で単身エジプトへ

ピラミッドっていまでも謎の存在なんですね! 河江さんがその謎に関心を持ったきっかけは何ですか?

河江 中学生のときにたまたまテレビで、エジプト最大のピラミッドであるクフ王のピラミッド(完成時146.6m/現在138.8m)の内部に未知の空間がある、という番組を観て、一気に惹きつけられました。
そこから考古学に興味を持って、高校時代は考古学を学べる大学を受験したんですが、当時は武道にはまっていてまったく勉強をしていなかったので、大学受験は失敗しました。父親にも「そんなに勉強しないで、受かるはずがない」と言われたくらい(苦笑)。

それである日、武道の先生に「大学に落ちた」と報告したら、「そもそも何で大学に行きたいの?」と聞かれたんです。そのとき「古代エジプトの研究がしたい」と答えたら、「じゃあ、エジプトに行ってきたら?」と言われて、「なるほど!」と(笑)。
それから1年間、花屋でアルバイトをしてお金を貯めて、19歳の時、1年ぐらい現地に住むつもりでエジプトに渡りました。英語もアラビア語もほとんど分からなかったし、いまのようにインターネットの情報もなかったけれど、怖さよりワクワク感が大きかったですね。
うちの両親は、わたしがやりたいと言ったことを一度も否定したことがなくて、いつも「やりたいなら、やったらいいじゃないか」と受け入れてくれるような人たちだったので、エジプトに行きたいと伝えたときも、快く送り出してくれたんですよ。

最初にピラミッドを見たとき、どう感じましたか?

河江 まず、到着してすぐにギザのピラミッドを見に行きました。まちからタクシーで向かったのですが、ピラミッドが近づいて来たら、運転手が「ピラミッドが見えたから、チップを寄こせ」というんです。それでケンカになって、途中でタクシーを降りて歩いて向かいました。そうしたら今度は、物売りにあちこちから声をかけられて、とにかくうるさい。

やっとの思いで、いざピラミッドに着いてみたら、期待が膨らみ過ぎていたせいか、「あれ? 思ったより小さいな」と思ってしまったんです。エジプト最大のピラミッドだったにも関わらず。

自分が想像していた出会いとはまったく違うものになりましたが、なんとかエジプトまで来たので、「これがピラミッドか! やっぱりすごいな!」と自分を無理やり感動させようとがんばった記憶がありますね(笑)

ギザのケントカウエス女王墓の調査を行っている様子(2011年)

ギザのケントカウエス女王墓の調査を行っている様子(2011年) Photo by Manami Yahata

机の上だけでは学べないことがある

ひとりでいきなりエジプトに行ってしまうとは! 現地ではどんな生活をしていたのですか?

河江 19歳でエジプトに渡ってからは、現地で7年間ほど、日本人旅行者向けのツアーガイドをして、働きながら古代エジプトに関する知識を身に着けていきました。

そして26歳の時、会社の上司に「奨学金を出すので、大学に行かないか?」と声をかけてもらって、カイロ・アメリカン大学に入学することにしました。ガイドをしているときに、自分がお客さんに話していることが、なんだか表層的に感じていたんですよね。ちゃんとした知識に基づいたものではなくて、営業トークになってしまっているような。

わたしが専攻したエジプト学部は、課題が多くてひたすら勉強していましたが、予想外だったのは、ガイドの仕事が思いのほか役に立ったこと。教授陣はとても充実していましたが、ガイドとしてあらゆる遺跡に足繁く通っていたことで、いつの間にか、遺跡の壁の一部を写真で見ただけでそれがどこなのかわかるようになっていたのです。風景が、ぜんぶ目の前に出てくる。

授業で話題になっている遺跡がどんな遺跡なのか、その歴史だけでなく現場の雰囲気が分かるというのは、勉強をする上で大きなアドバンテージでした。だからこそ、エジプト学専攻のなかで最も優秀な学生に贈られるアハメッド・ファクリ賞や、学部の優秀な学生に贈られる人文社会科学賞を受賞することができたのだと思います。自分が何を学んだかは、「そのとき」はわからないものですね。

大学で必死に勉強したことで、ガイド時代にお客さんから質問されて答えられなかったことが、実は、学術的にもまだ解明されていないことがわかったのも大きかったです。「なんだ、学者でさえも分からないのか!」と。文化や遺跡の成り立ちについての理解が深まり、「知識の水平線が見えた」という手応えを感じましたね。そして、あるひとつだけじゃなくて、全体を知ることの大事さも。

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河江さんの自宅の本棚には、英語の書籍がぎっしりと並んでいる。英語はエジプトで学んだ。

「学業が仕事に活きる」とはよく聞きますが、仕事が学業に活きたのですね。その後は、どうやって研究者の道へ?

河江 学業を頑張った甲斐あって、周囲の方の後押しを受けて、29歳のときに世界的に有名な考古学者、マーク・レーナー博士(*2)の発掘チームに入ることができました。博士は、ピラミッドの建造に従事した人たちの存在や生活、文化に焦点を当てた研究をしていて、当時の人々の居住地である「ピラミッド・タウン」の発見した方です。当時、チームには世界中から人が集い、200人ほどが在籍していました。

考古学って、古代の遺跡や財宝を掘り出すというイメージがありますが、本当は「過去の情報を記録、分析する」のが大きな仕事なんですよ。最初のうちはまだ学生だったので、掘ることではなく、無難な実測をしていました。そして1年後、正式にチームメンバーとして採用されました。

メンバーになってからは、記録だけでなく、現場で刷毛(はけ)を持って発掘をするようになりました。博士は、「誰がピラミッドをつくったのか」ということに焦点を当てて、長年、研究を続けています。

2005年には、そのヒントとなる重要な遺跡「土器の丘」で発掘チームのリーダーになりました。わたしにとって最大の発見は、その現場で2,500個以上にのぼる封泥(ふうでい)(*3)を発掘したことです。古代を知るために唯一残された文字資料である封泥は、それまで703個しか見つかっていなかったので、当時の生活を知る上で貴重な資料になりました。

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河江さんが発掘現場で使っているグッズ。ドローンはエジプトの法律でまだ使用できていないが、上空からの画像は3D計測に貴重なデータとなるため、現在、エジプト政府と交渉中。
  • *2
    アメリカ人考古学者。1985年に、ギザのピラミッドを造営した人々のまちがピラミッドのすぐ近くにあるはずだという仮説を発表。ギザ台地で発掘調査を行い、ピラミッド建設に従事したと思われる人々の居住地である「ピラミッド・タウン」を発見した。
  • *3
    文書類や容器を封印するときに用いられた粘土。そこに印章や手書きで、仕える王の名前や、持ち主の称号や役職、あるいは内容物の生産地や年の印を付けた。

テレビ番組がきっかけで意外な発見!

河江さんの研究方法である、3D測定は、どうやって始まったのですか?

河江 2013年にTBSの『世界ふしぎ発見!』という番組に出演したのがきっかけで、内部構造の解明をテーマにするようになりました。その取材で、クフ王の大ピラミッドに登ることになったんです。ピラミッドに登ることは1983年から禁止されており、とても特別で貴重な機会でした。目的は、北東の角80m地点にある、石材が剥がれ落ちてできた「窪み」のような場所と、その奥にある「洞穴」のような空間を撮影することでした。

大ピラミッドがどうやってつくられたのかは未だに分かっていませんが、その場所と空間は、フランス人建築家、ジャン=ピエール・ウーダンさんが唱えるある説(*4)の有力な証拠になるとされていました。

実際に行ってみると、洞穴のなかの石材は不揃いで、方向もバラバラ。これまで、ピラミッドは内部も整然と石が積み上げられていると考えられてきたので、意外な発見でした。

でも、このときも見た瞬間に「おお!」と興奮したわけではありません。データを収集して、パソコンを使って解析しているときに、「あれ? なんで思ったようなデータが出ないのかな」という違和感があった。固定観念があって「そんなわけない」と思って見ているから、すぐに気づかないんですよね。

でも、その違和感を抱えて考え続けた結果、「ピラミッド内部は規則正しく並べられた石ではなく、隙間を埋める素材が詰まっているのかもしれない」という現在の仮説に辿り着いた。もしこの説が実証されれば、これまでのピラミッド研究がふりだしに戻る可能性もあります。

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河江さんの自宅の書斎。壁には過去に3D計測したケントカウエス女王墓の図と、ピラミッド・タウンの図が張られている。
  • *4
    「内部螺旋傾斜路」説。ピラミッドの内部にスロープ状のトンネルがあり、それを利用して膨大な数の石を積み上げたとする。

考古学の醍醐味

ピラミッドの研究者って、とても珍しい仕事だと思います。どんなときにやりがいを感じますか?

河江 考古学というと、古代の財宝や遺跡を発掘するのが醍醐味だと思われるかもしれませんが、わたしにとって一番の醍醐味は、現場です。

まだ日も明けない時間から発掘現場に行き、朝日に輝くピラミッドを見る。一日の作業を終えて、夕日に染まるピラミッドを見ながら、家路に着く。その時間、その一日が、自分にとってかけがえのない瞬間です。これからも、なるべくピラミッドに足を運び続けたいと思っています。

いま取り組んでいるのは、謎を解明するというよりも、「謎をかたちづくる」作業ですね。謎と言っても、それがふわっとしていたら、アプローチすることもできませんから。どんな謎なのかをはっきりさせてから、解明に当たるんですよ。

ピラミッドは、「なぜ?」「どうやって?」ばかりが注目されてきましたが、レーナー博士は、「誰がピラミッドをつくったのか」という独自のテーマを掲げて、1980年代にピラミッド・タウンを発見しました。そしていまもその調査を続けています。わたしも、自分の生涯をかけて取り組んでいけるような謎を、しっかりかたちづくっていきたいですね。kawae_7_仮